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業平道を往く - 知識寺・河内六寺を巡る -

9月25日ならなぎの「よりみちクラブ」が主催するウォーキングに参加した。孝謙天皇が難波宮行幸の際に立ち寄った河内六寺(三宅寺、大里寺、山下寺、知識寺、家原寺、鳥坂寺)の一部を巡った。またその道は平安時代の貴族・歌人である在原業平が大和国と河内国を河内姫に会いに行き来した際に通ったとされる道筋でも有名である。
本日は「柏原おいな~れガイドの会」の皆様が案内いただきました。コースは下記の通りです。
近鉄堅下駅⇒鐸比古・鐸比賣神社⇒天冠山知識寺中門観音寺⇒清浄泉⇒石神社⇒家原寺跡⇒鳥坂寺跡⇒柏原市立歴史資料館⇒JR高井田駅
史跡はほとんど残っておらずロマンを感じながら歩いた。我々ならなぎの者としては一番の興味は知識寺にあったであろうという「大仏様」である。聖武天皇がここで「大仏様」を見て、東大寺の大仏(盧舎那仏)の建立を決めたと言う。当然その「大仏様」は存在しておらず、壁に絵が描かれていた。また最後に歴史資料館を訪れたが、そこの学芸員さんに大変熱心に説明していただいた。2つの重要な点を知ることが出来た。1つはこの地域で大和川の付け替えが行われたこと、2つ目は多くの横穴墓(高井田山古墳)存在することである。近くに横穴墓がありそれを見せて頂いた。そこには5世紀後半に描かれた思われる線刻画があった。
予定の16時半を少し過ぎて終了した。

s-鐸比古神社 190925よりみちクラブ[鐸比古神社]『河内名所図会』には、「鐸比古神社 (高尾神社・大県神社・高尾明神) 延喜式内、高尾山の嶺にあり、今比賣春日御前という。傍に清泉あり」と記されている。 もともとは鐸比古神社と鐸比賣神社は別々の神社であり、鐸比古神社は高尾山の山頂に祀られていたが、中世には現在の地に遷されたといわれている。現在の社殿は江戸時代・元禄年間の再建。 祭神は「鐸比古命」「鐸比売命」。 鐸比古命は垂仁天皇の子であり、「沼滞別命」「鐸石別命」と同人とされる。 和気清麻呂の遠祖であり、鐸比古命を祭神とするのは日本全国でもここと岡山県の和気神社のみとされている。

s-知識寺 盧舎那仏 190925よりみちクラブ[知識寺壁画]古代日本において、「知識」と呼ばれた仏教信徒の財物及び労力の寄進によって建立された、つまり民間の力で建てられた寺院を「知識寺」「智識寺」と称したが、その中でも河内六寺のひとつ、河内国の知識寺は後に「日本三大仏」に数えられた廬舎那仏を安置するなど、その規模の大きさで知られていた。 740年(天平12年)に聖武天皇が同寺に行幸して、廬舎那仏の姿と同寺を支える人々の姿に魅了され、後に東大寺盧舎那仏像を造像するきっかけになった。

s-ガイド風景 190925よりみちクラブ

ガイド風景

s-左から允恭、応神、仲哀天皇陵 190925よりみちクラブ

高台から見た天皇陵・允恭、応神、仲哀


s-横穴墓 7号墳 190925よりみちクラブ

横穴墓 7号墳

s-横穴7号墳線刻画号墳

横穴7号墳線刻画


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