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「ならまちコース」検討

7月8日ならなぎ新コース「ならまちコース」(一般半日コース)を確認しながら回った。開発チームがコースを作成して、3回にわたり検証してほぼ完成したので、今日は幹事会の皆さんが集まった。割石までバスで行って浮御堂からならまちに向かってスタートした。コース、案内名所を紹介する。「ならなぎ」のコンセプトとして自然は不可欠であり、天神社、瑜伽神社をコースにいれた。「町屋」の案内もあっては良いのではとの意見もあった。幹事会では否定的な意見はなかったので提案する方向で検討する。

s-ならまち地図180703

s-天神社[天神社]
奈良時代頃より御祭神として少彦名命 を祀る小さな神社で菅原道真を合祀し、天満宮として現在のような形で成立した時期は、1078年、白河天皇の治世であったと伝えられている。立地としては奈良町エリアで一番高いところにあたる小高い丘の上に建っており、「頭塔」の姿を眺めることもできる 。

s-瑜伽神社[瑜伽神社]
飛鳥京の鎮守であった飛鳥神南備を、平城遷都に際しこの地に移して祀ったことにさかのぼるとされており、その名残は周辺が「飛鳥地区」と現在でも呼ばれていることに表れている。祭神は本殿が宇伽之御魂大神 、摂社(飛鳥神並社)の祭神は瑜伽大神和魂 となっている。周辺は古来から紅葉や桜の名所として知られている。

s-旧大乗院庭園[旧大乗院庭園]
興福寺の門跡寺院である大乗院の寛治元年(1087年)創建と同時に築造された庭園は、12世紀における平重衡による南都焼討で被災し、興福寺別院である定禅院跡地に移築されたが、ここも15世紀中期の徳政一揆で荒廃したため、復興を目的に尋尊が銀閣寺庭園を作った善阿弥父子を招いて池泉回遊式庭園を改造させた。

s-元興寺極楽坊[元興寺極楽堂]
国宝。東室南階大房(僧坊)の三房(室)分を寄棟造、本瓦葺六間四面の聖堂に改造されたもの、僧坊の一室(極楽坊)の身舎部を内陣とし、東妻を正面として前面向拝とした鎌倉時代新和様の堂々たる建造物である。南都における浄土教発祥の聖地として古来有名な堂宇である。

s-庚申堂[庚申堂]
奈良市のならまちの中心にあり、「庚申さん」と呼ばれる。庚申信仰の奈良の拠点であり、青面金剛像を祭祀する祠である。また、青面金剛の使いの猿を型どったお守りは、魔除けとして、町内の家々の軒先に吊るされている。町内の住民の災いを代わりに受けることから、「身代わり猿」と呼ばれている。

s-御霊神社[御霊神社]
平安時代初期の延暦19年(800年)に現在の奈良県五條市にあった「霊安寺」から神様を勧請した。祭神は「本殿」には井上皇后・他戸親王・事代主神を祀っおり、「西神殿」には伊豫親王・橘逸勢・文屋宮田麿、「東神殿」には早良親王・藤原広嗣・藤原大夫人を祀っている。現在は「縁結び」「恋愛」の神様として若い女性を中心に人気を集めている。

s-元興寺塔跡[元興寺塔跡]
門前に『史跡 元興寺塔跡』の碑が立ち、民家に囲まれた小さな空間に仮堂と塔跡がある。江戸時代末期(1859年)に焼失し、現在は基壇と礎石を残すのみだが、その規模の大きさから興福寺の五重塔(約51m)をしのぐ高い塔が立っていたことが想像できる。塔跡から出土した元興寺塔跡土壇出土品と、薬師如来立像は、奈良国立博物館に寄託されてる。

s-つるや[つるや]
現在も置屋を営業している。新聞記事つるや


s-絹谷家[絹屋家]
元林院町は「芸妓町」として栄え、芸妓さんが所属する「置屋」が十軒以上も営業していた。「絹谷家」も、もとは「萬玉楼」という芸者置屋さんだった。建物は三棟の主屋からなっており、大正時代の数奇屋風・江戸時代の町家・明治初期の町家と連なっていて、中央の建物は1742年の建築。奈良町で最も古い町家の一つなのだそうだ。

奈良の観光案内は「ならなぎ」

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