1月18日、今年初めてのよりみちクラブに参加した。コース名は「歴史散策・・枚方宿から
百済寺跡へ」だ。新年からゆっくりとした方々が早く外で活動したいと思っていたのか、多くの参加があった。枚方公園駅で集合した。枚方宿があったとは知らないし、東海道57次?なにそれ?53次ではないの?と驚いた。そういえばくらわんか船というのは聞いたことがある。それと関係している。10時に集合して「枚方観光ボランティアガイドの会」の方2名で案内をしてもらった。コースは以下の通りだ。枚方公園西口 出発 → 西見附 → 鍵屋資料館(学芸員の解説あり) → 船番屋跡 木南邸 → 浄念寺 → 問屋場跡 → 願生坊・大隆寺 → 御茶屋御殿跡 → 意賀美神社(おかみじんじゃ) → 旧森繁久彌邸(生家) → ムクノキ → ※岡本町公園 🍴(ランチ) → 宗左の辻(道標) → 小野邸 → 東見附 → 禁野本町遺跡 → 殉職者慰霊碑 → 中宮平和ロード → 百済寺跡 → 百済王神社 解散・・・(徒歩8分)京阪宮之阪・・・(さらに徒歩12分京阪枚方市駅 (歩く距離は5~6km)早速鍵屋資料館を見学した。鍵屋は屋号で鍵を製作していたのではなく、船待ち宿だ。くらわんか船はここでも出していた。大変興味深かった。その後、豊臣秀吉が造った御茶屋御殿跡、問屋役人家、火薬庫の爆発の犠牲者碑などを回り、百済寺跡で解散した。15時半。
[宗左の辻の道標]この辻は、京街道からの磐船街道分岐点。当時角屋宗佐と言う油商人の屋敷がこの辻に在ったことから「宗佐の辻」と呼ばれている。京海道はここより大阪へは大坂みち、ここより京都へは京ミチと呼ばれた。江戸から京都までが東海道53次だが、大津宿・伏見宿・淀宿・枚方宿・守口宿を加えて大阪までを57次と言う。その間大坂天満橋の八軒家船着場から京都の南、伏見豊後橋までを30石船で往来していたが、そこで活躍したのがくらわんか船だ。
[鍵屋]船で大阪、京都を往来する人のための「船待ち宿」で、主屋は江戸時代1811年建築の町家だ。くらわんか船を営業していた。近代以降料亭、料理旅館として営業を続けており、枚方市の有形文化財に、また敷地は史跡に指定されている。
[百済寺東塔跡]百済王敬福(698~766)は陸奥守に任ぜられ、聖武天皇が東大寺大仏の造立を進め、巨大な仏像に鍍金するための黄金が不足していた中、任地の陸奥国小田郡(現在の宮城県遠田郡涌谷町)から産出した金900両を献上した功績で従三位宮内卿(くないきょう)・河内守に任ぜられた。それを機会に、難波の地から河内国交野郡(現在の枚方市中宮付近)に一族と共に本拠を移したとされる。その後、この地に百済王氏の氏寺として百済寺が造営され、古代枚方は、百済王一族が大邸宅を築き、日韓交流の拠点でもあった。
