よりみちクラブ「大阪の橋巡り」
天満橋 → 天神橋 →バラ園橋 → 難波橋 → 鉾流橋 →秋バラの季節! 天神祭り・東横堀川・葭屋橋の遊郭→中之島公会堂 → 水晶橋(大江橋)→ 中之島図書館 →栴檀木橋 → 大阪市役所 → 淀屋橋(御堂筋) → 錦橋 → 昼食:フェスティバルキッチン(社員食堂です。懐かしい!)→渡辺橋 → 田蓑橋(蛸の松) → 福沢諭吉の碑 → 玉江橋 → 堂島大橋 →大坂蔵屋敷跡・堂島五橋・堂島米取引所・旧曽根崎川(蜆川)→上船津橋(船津橋) → 湊橋 → 昭和橋・端建蔵橋 → 川口基督教会
みどころ満載のコースだ。橋も良いが、フェスティバルホールにあった食堂も良かった。ランチ660円と手軽で、こんな都会の真ん中にあるのは驚いた。記憶に残った橋をクローズアップする。

明治18年の淀川大水害は大阪市内を水浸しにした。大川にかかる橋を軒並み流し去った。木橋だった天満橋も流出し、復旧は明治21年 鉄の橋につけ替えられた。ドイツ製の鋼材を使った立派なトラス橋だった。「天満橋」と書かれた橋名板が現在も橋の北詰に保存されている。この橋が現在のものにかけ替えられたのは昭和10年である。半世紀近く使われて世代交代したことになる。この橋の上に昭和45年高架橋が建設された。市電が走っていたが、軌道敷部の加重と高架橋のそれと置き換えるように設計されている。
[難波橋]
大川の上流から順に、天満橋、中之島の最東端に架かる天神橋、そして難波橋と並ぶ。大阪の交通の要であった浪華三大橋と呼ばれ、かつては公儀橋(江戸幕府の管轄の橋)であった。大正4年に架橋され、ライオンの石像がある橋として、「ライオン橋」の異名で知られる。口を開いた阿形と口を閉じた吽形が北詰と南詰に2頭づついる。市電事業に伴って現在の姿になった。道路拡張工事に住民が反対するも、堺筋に電車を走らせることになった。一方中の島公園では公園の整備も進んでいて景観に配慮され、照明灯や石造りの階段も設けられ、ライオン像もその一環であった。なぜライオンか分からない。
[鉾流橋]
天神祭の際行われる鉾流しの神事にちなむ橋名。初めてこの地に橋が架けられたのは大正7年のこと。天神祭の宵宮に神鉾を川に流す行事「鉾流しの神事」は現在も鉾流橋のたもとで行われている。現在の橋は、昭和4年完成した。その後、昭和55年に中之島地区にマッチしたクラシックなデザインの高欄や照明灯、レンガ敷きの歩道などが整備された。鉾流神事とは、現在でも7月24日天神祭宵宮の早朝に厳かに行われている。この行事は祇園祭と同様に神童を選出し、小舟で大川へ漕ぎ出し神鉾(かみほこ)を流すというものである。鉾が流れ着いた場所を仮のお旅所(たびしょ)として渡御行列が向かった。