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よりみちクラブ「大阪の橋巡り」

10月27日よりみちクラブに参加した。16人が集まった。今日は中の島一帯に架かる橋見学だ。水の都大阪と言われるだけあって、多くの橋が架かっている。橋の一つ一つに歴史があり、話を聞くにつれ、興味が湧いてきた。コースは以下の通りだ。
天満橋 → 天神橋 →バラ園橋 → 難波橋 → 鉾流橋 →秋バラの季節! 天神祭り・東横堀川・葭屋橋の遊郭→中之島公会堂 → 水晶橋(大江橋)→ 中之島図書館 →栴檀木橋 → 大阪市役所 → 淀屋橋(御堂筋) → 錦橋 → 昼食:フェスティバルキッチン(社員食堂です。懐かしい!)→渡辺橋 → 田蓑橋(蛸の松) → 福沢諭吉の碑 → 玉江橋 → 堂島大橋 →大坂蔵屋敷跡・堂島五橋・堂島米取引所・旧曽根崎川(蜆川)→上船津橋(船津橋) → 湊橋 → 昭和橋・端建蔵橋 → 川口基督教会
みどころ満載のコースだ。橋も良いが、フェスティバルホールにあった食堂も良かった。ランチ660円と手軽で、こんな都会の真ん中にあるのは驚いた。記憶に残った橋をクローズアップする。

s-天満橋[天満橋]
明治18年の淀川大水害は大阪市内を水浸しにした。大川にかかる橋を軒並み流し去った。木橋だった天満橋も流出し、復旧は明治21年 鉄の橋につけ替えられた。ドイツ製の鋼材を使った立派なトラス橋だった。「天満橋」と書かれた橋名板が現在も橋の北詰に保存されている。この橋が現在のものにかけ替えられたのは昭和10年である。半世紀近く使われて世代交代したことになる。この橋の上に昭和45年高架橋が建設された。市電が走っていたが、軌道敷部の加重と高架橋のそれと置き換えるように設計されている。


s-難波橋[難波橋]
大川の上流から順に、天満橋、中之島の最東端に架かる天神橋、そして難波橋と並ぶ。大阪の交通の要であった浪華三大橋と呼ばれ、かつては公儀橋(江戸幕府の管轄の橋)であった。大正4年に架橋され、ライオンの石像がある橋として、「ライオン橋」の異名で知られる。口を開いた阿形と口を閉じた吽形が北詰と南詰に2頭づついる。市電事業に伴って現在の姿になった。道路拡張工事に住民が反対するも、堺筋に電車を走らせることになった。一方中の島公園では公園の整備も進んでいて景観に配慮され、照明灯や石造りの階段も設けられ、ライオン像もその一環であった。なぜライオンか分からない。


s-鉾流橋[鉾流橋]
天神祭の際行われる鉾流しの神事にちなむ橋名。初めてこの地に橋が架けられたのは大正7年のこと。天神祭の宵宮に神鉾を川に流す行事「鉾流しの神事」は現在も鉾流橋のたもとで行われている。現在の橋は、昭和4年完成した。その後、昭和55年に中之島地区にマッチしたクラシックなデザインの高欄や照明灯、レンガ敷きの歩道などが整備された。鉾流神事とは、現在でも7月24日天神祭宵宮の早朝に厳かに行われている。この行事は祇園祭と同様に神童を選出し、小舟で大川へ漕ぎ出し神鉾(かみほこ)を流すというものである。鉾が流れ着いた場所を仮のお旅所(たびしょ)として渡御行列が向かった。


s-天神橋

天神橋

s-栴檀木橋

栴檀木橋


s-水晶橋

水晶橋

s-玉江橋

玉江橋


s-淀屋橋

淀屋橋

s-難波橋Ⅱ

難波橋


s-堂島大橋

堂島大橋

s-天満橋看板

天満橋名板


s-天神橋看板

天神橋名板

s-川口基督教会

川口基督協会


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西ノ京コース

10月20日「西ノ京コース」 に参加した。秋晴れの最高のシーズンになって、参加者が多い。また外部からの参加も7人と多かった。いつものように西大寺からスタートしたが、久しぶりに来て、少し驚いた。いつもは開放的だが、今日は違って境界線が多く引かれていて、散策はお断りと札がしてあった。勉強会なので、恐る恐る入らせてもらった。注意はされなかったが、いつも出ていた南門が閉められていて、遠回りをせざるを得なかった。境内に奇妙なスギを発見した。酒蔵にある杉玉があった。まさか!ネットで調べてみると「茎の一部が異常に扁平化した奇形を帯化(石化)ともいうが、天狗杉も幹の上部が帯化したものである。」とあった。天狗スギというらしい。全国にあちこちある。このあと、垂仁天皇陵ではコスモスが咲き誇り、途中サルナシが実を付け、キンモクセイ、ギンモクセイが咲いていた。唐招提寺ではモズが迎えてくれた。最後は薬師寺だが、門前で拝観料を払わずガイドをしてると参拝する方の迷惑になるので、やりずらい薬師寺の宣伝をしているつもりなのだが。少しイラっとしたが、季節よく気持ちの良い1日だった。西ノ京駅で解散した。15時
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天狗スギ

キンモクセイ花

キンモクセイ


ギンモクセイ花

ギンモクセイ

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コスモス


モズ

モズ

サルナシの実

サルナシの実


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例会「奈良阪コース」

10月5日「奈良阪コース」に参加した。リーダーが休みのため、代わりにすることになった。前日の雨の後、急に涼しくなり、気持ちよく廻ることが出来た。バスで奈良阪まで行き、そこから奈良阪道を下る。延喜式神名帳に載っている格式ある奈良豆彦神社、重要文化財に指定されている元少年刑務所(星のリゾートがホテルにする)、コスモスで有名な般若寺を経由して、五劫院に着いた。いつもこの寺で昼食の場を頂いていてお世話になっている。本日は自由拝観の日だったらしく、五劫思惟阿弥陀坐像を拝むことが出来た。最後は転害門で終了した。
少年刑務

元少年刑務所


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よりみちクラブ「京都の蹴上から南禅寺・黒谷・吉田山を巡る」

9月29日ならなぎよりみちクラブ「京都の蹴上から南禅寺・黒谷・吉田山を巡る」に参加した。蹴上駅で16人が集合した。ガイドは会員のY氏だ。快晴で暑かった。コースは以下の通りだ。
蹴上駅→琵琶湖疎水→南禅院一南禅寺(法堂・三門)→南禅寺界隈別荘群→岡崎神社→ 金戒光明寺→真如堂→吉田山荘→宗忠神社→吉田神社→京阪出町柳駅
琵琶湖疎水では平日ではあるが、多くの観光客が疎水船に乗って楽しんでいた。趣のある疎水に沿って歩くと、南禅寺に出た。紅葉の名所である水路閣がある。そこで集合写真を撮る。金戒光明寺で昼食後、京都ならではの雰囲気のある街並みを歩き、最後吉田神社を参拝して14時終了した。近くに阿闍梨餅本店があり、皆こぞって買っていた。

s-琵琶湖疎水旧御所水道ポンプ室[琵琶湖疎水]
東京の工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎を土木技師に採用して、琵琶湖から京都へ水を引き込むために造った。明治23(1890)年に完成し、電力も供給することが出来、工場が建設され、路面電車も走らせ発展していった。それとインクラインを利用して物資の運搬が可能となり、町が潤った。いまでは琵琶湖疎水船が行き来していて観光客でにぎわっている。(写真 琵琶湖疎水船と旧水道ポンプ室)


s-南禅寺三門[南禅寺]
臨済宗南禅寺派。南禅寺は今から710年あまり昔の正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創。亀山法皇は建長元年(1249年)、後嵯峨上皇の皇子として誕生され、10歳にして皇位に就かれた(第90代亀山天皇)。上皇は離宮禅林寺殿で出家され、法皇になられ、正応4年(1291年)離宮を禅寺とされた。(写真 南禅寺三門)


s-金戒光明寺御影堂[金戒光明寺]
浄土宗最初の寺院。浄土宗の大本山、承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り、草庵を結ばれたのが浄土宗最初の寺院 のはじまり。阿弥陀堂、本堂 など18もの塔頭寺院が建ち並ぶ。また、幕末京都守護職会津藩一千名の本陣にもなった。(写真 御影堂)


s-びわ湖疏水船

琵琶湖疎水船

s-日向大神宮

日向大神宮


s-南禅寺本堂

南禅寺本堂

s-金戒光明寺山門

金戒光明寺山門


s-吉田神社本宮

吉田神社本宮

s-吉田神社大元宮

吉田神社大元宮


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