10月13日ならなぎよりみちクラブ「やすらぎの道・京終界隈まち歩き」に参加した。奈良の駅周辺に多くの名刹があることを初めてしった。徳川家康や中将姫ゆかりの寺や玄昉ゆかりの地名があって、面白い。街の真ん中に天皇陵まである。
10時に集合して、14時ごろ解散した。コースは下記の通りだ
近鉄奈良駅-崇徳寺-漢国神社-林神社-念仏寺―※西照寺-開化天皇陵-
浄教寺-率川神社-傳香寺-※(なら工藝館)-鎮宅霊符神社-元興寺塔跡(昼食)
安養寺-徳融寺-誕生寺-※(格子の家)-高林寺-椚神社-JR 京終駅-
飛鳥神社-※北京終町バス停(解散)
[漢国神社]漢國(かんごう)神社は、推古天皇の元年(593)、勅命により大神君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が大物主命(おおものぬしのみこと)を、その後、養老元年(717)には藤原不比等公が大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を合祀。古くは春日率川坂岡社(かすがいさがわさかおかしゃ)と称す。本殿は三間社流造・桧皮葺で桃山時代の建造物で奈良県指定文化財。境内には、室町時代のはじめに中国から渡来し、わが国に初めて饅頭(まんじゅう)を伝えた林浄因(りんじょういん)を祀る林神社がある。
[念仏寺]徳川家康が慶長19年(1614年)の大阪冬の陣において、山城国(現在の京都府木津川市)で真田幸村軍に破れた後奈良まで逃げ、この念仏寺の敷地にある「桶屋の棺」に隠れ、なんとか命拾いをしたという伝承が伝わっている。本堂近くにはこのお寺を創建した徳川家康の異父弟である松平定勝の墓所も含め、多数の石碑や石仏が設けられてる。
[西照寺]鎌倉時代に西大寺の中興に大きな役割を果たした叡尊上人が「禅松庵(ぜんしょうあん)」と呼ばれる真言律宗の草庵として開基したことが創建の由来。徳川家康の位牌・墓碑も安置されるなど幕府との結びつきの強いお寺である。本尊としては源義仲の母である栄松院が安産祈願のために造立したと伝わる「腹帯阿弥陀如来」と呼ばれる仏さまを安置している。また観阿弥の能楽に登場する人物である「百萬」の供養塔と家康の墓碑も設置されている。
[徳融寺]ならまちエリアでは「元興寺(極楽坊)」に次ぐ規模を持つ比較的大きなお寺である。現在ある本堂などはその後江戸時代の寛文7年(1667年)に整備されたものであり、基本的には近世の香りが漂うお寺となってる。「中将姫」ゆかりのお寺になっており、このお寺は中将姫の父親である藤原豊成の邸宅跡に建っているとされている。

椚神社

霊符神社

百萬供養塔

飛鳥神社

徳融寺子安観音
