3月10日よりみちクラブ「京都 城南宮のしだれ梅と院政期の天皇陵を巡る」が実施された。コロナがやや収まりつつある中での、久しぶりの「よりみち」だ。10時近鉄竹田駅を出発した。コースは下記の通りだ。近鉄竹田駅(10:00)~近衛天皇陵(10:10)~安楽寿院(10:20)~鳥羽天皇陵(10:40)~北向山不動尊(10:50)~白河天皇陵(11:10)~昼食鳥羽離宮跡公園(12:00~12:50)~鳥羽伏見の戦勃発地(12:50~13:50)~城南宮・神苑(14:00)解散平安時代後期に院政が政治の方針として行われた。その院政を司った上皇の陵を訪問した。
「白川天皇成菩提院陵」第72代天皇 これまでは藤原家が摂関政治を行っていたが、藤原の力が弱まりかけた時代に白川天皇は育ち、自分の息子(8歳)を即位させ、自らは上皇となり、政治を行うようになった。院政の始まり。
「鳥羽天皇安楽壽院陵」第74代天皇 祖父の白河法皇の下に引き取られて養育された。誕生から7か月で立太子され、父・堀河天皇の死後、5歳で即位する。幼いころの大病がもとで、病弱な体となる。実際の政務は白河法皇が執った。白河法皇崩御の後、大治4年(1129年)より院政を敷く。1864年、文久の修陵により、現在地が鳥羽天皇陵として修補された。旧堂の仮堂(本御堂)は北に移されている。法華堂が新たに建てられる。
「近衛天皇安楽壽院南陵」第76代天皇 近衛天皇は、鳥羽天皇と藤原得子とのあいだに誕生。体仁親王は生後3ヶ月で皇太子に。3歳の時に即位して近衛天皇となり、幼い近衛天皇に代わって、政治は父の鳥羽上皇が行うことになった。病弱で政治の表舞台に立たないまま、17歳の若さで亡くなった。当初は三重塔であったが、豊臣秀頼の命により多宝塔として再建された

竹田駅

安楽壽院

北向山不動尊

城南宮
