「山背古道を歩く」
11月12日よりみちクラブ企画の「山背(やましろ)古道を歩く」に参加した。JR奈良駅から京都方面に5つ目にある玉水駅に集合した。20名弱の参加者がいた。井手町古里ガイドのみなさんに案内をお願いした。古道を歩くと言ってもほんの一部を歩くだけだったが、この町は橘諸兄が居を構えていた地域であり、当時大きな寺院が建立されていて、歴史を感じさせられた。
コースは以下の通りだ。
玉水駅⇒蛙塚⇒井手寺跡⇒玉津岡神社⇒地蔵禅院⇒小町塚⇒井手町まちづくりセンター椿坂(昼食)⇒橘諸兄旧跡⇒六角井戸⇒地福寺⇒JR玉水駅(約6km)
[蛙塚(かわずづか)]
井手を歌った和歌の中でも蛙に関するものは83首が数えられ、古来より井手は山吹とともに「蛙」の名所としても知られてた。鴨長明の「無名抄」には、「井手の蛙は大きさが普通の蛙と同じくらいであるが、色は黒くさほど飛び歩かずいつも水の中にいて、夜がふけるとその泣き声は清らかで、人の心をしみじみとさせる」と記されている。この蛙の鳴き声はきれいな鳥のような声であり、カジカガエルではと、思う。
[井堤寺跡]
天平時代の左大臣で、万葉集の撰者でもあった「橘諸兄」が母・三千代の一周忌にちなみ氏寺を創建した七堂伽藍の寺跡で、西方浄土を形付けようと、境内を始め借景となる「玉川堤」他一帯に5月頃黄色い花が咲く黄金の花、「山吹」を植えたと云われている。
なお、「井堤寺」は、「円堤寺(えんていじ)」とも称し、寺跡から礎石の他、銅銭、海獣葡萄鏡、三色の釉薬をかけた「三彩」の垂木先瓦片等が出土晩年には小野小町も住んでした。
[玉津岡神社]
玉津岡神社上井手地区にある玉津岡神社は、社伝によれば、540年に下照比売命(しもてるひめのみこと)がこの地に降臨(こうりん)し、それを祀ったのが起源とされている。
本殿は貞享4年(1687年)の造営で京都府登録文化財、鎮守の森は文化財環境保全地区に指定されています。また、境内には橘諸兄(たちばなのもろえ)を祀った橘神社がある。
コースは以下の通りだ。
玉水駅⇒蛙塚⇒井手寺跡⇒玉津岡神社⇒地蔵禅院⇒小町塚⇒井手町まちづくりセンター椿坂(昼食)⇒橘諸兄旧跡⇒六角井戸⇒地福寺⇒JR玉水駅(約6km)

井手を歌った和歌の中でも蛙に関するものは83首が数えられ、古来より井手は山吹とともに「蛙」の名所としても知られてた。鴨長明の「無名抄」には、「井手の蛙は大きさが普通の蛙と同じくらいであるが、色は黒くさほど飛び歩かずいつも水の中にいて、夜がふけるとその泣き声は清らかで、人の心をしみじみとさせる」と記されている。この蛙の鳴き声はきれいな鳥のような声であり、カジカガエルではと、思う。

天平時代の左大臣で、万葉集の撰者でもあった「橘諸兄」が母・三千代の一周忌にちなみ氏寺を創建した七堂伽藍の寺跡で、西方浄土を形付けようと、境内を始め借景となる「玉川堤」他一帯に5月頃黄色い花が咲く黄金の花、「山吹」を植えたと云われている。
なお、「井堤寺」は、「円堤寺(えんていじ)」とも称し、寺跡から礎石の他、銅銭、海獣葡萄鏡、三色の釉薬をかけた「三彩」の垂木先瓦片等が出土晩年には小野小町も住んでした。

玉津岡神社上井手地区にある玉津岡神社は、社伝によれば、540年に下照比売命(しもてるひめのみこと)がこの地に降臨(こうりん)し、それを祀ったのが起源とされている。
本殿は貞享4年(1687年)の造営で京都府登録文化財、鎮守の森は文化財環境保全地区に指定されています。また、境内には橘諸兄(たちばなのもろえ)を祀った橘神社がある。
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