10月20日ならなぎの例会に参加した。初めての開発したコースを回ることになり、しかもリーダーをすることになった。
コースは左図の通りで、まずならまち(元興寺跡)を回ったが、狭い町のため密にならないように班ごとに行き順を変える工夫をした。ならまちセンターからスタートし元興寺・塔跡・御霊神社・庚申堂・ならまち資料館と、金堂跡の付近を説明しながら回り、旧大乗院庭園を経由して2社を説明後、荒池で昼食。その後、新薬師寺方面へ向かった。このコースで観察できる植物はオガタマノキ、ヤシャブシ、ハンノキ、タブノキ、クロガネモチなど多種にわたるが、リーダーをしていたので、写真撮影がままならず、入江泰吉写真美術館付近の栽培種だけをスポットにあて、載せておく。感想は覚えることが多く、距離が長いため、かなりハードだと思うが、やりがいのあるコースでもある。 
セイヨウニンジンボク

ビーナスノキ

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10月14日ならなぎの「よりみちクラブ当尾の石仏を巡る」に参加した。この日は快晴となり、27人の参加者が最高のコンディションで楽しめた。10時に加茂駅に集合し、バスでまず岩船寺まで行った。リーダーは前回と同じY氏から巧みな話術で説明してもらった。コースは地図を参照。
岩船寺で住職のお話を聞いてから、本堂の仏像を拝観した。ご本尊は阿弥陀如来坐像だ。そのほかにも沢山の像があり、すべて重要文化財となっている。本堂の裏山で昼食を頂き、浄瑠璃寺に向かって歩いた。途中多くの摩崖仏を見る事ができた。鎌倉時代のものが多かった。14時頃浄瑠璃寺に到着。ここでもご住職にお話しを頂き、本堂の仏像を拝観した。ここでは見どころは九体阿弥陀仏である。すべてが国宝だ
バスの時間がありゆっくりと拝むことができなかったが、ずらりと並んだ阿弥陀様は圧巻であった。14時44分の加茂駅のバスに乗った。
[岩船寺]
岩船寺の歴史は寛永九年(1632年)に編纂された「岩船寺縁起」によると、天平元年(729年)に聖武天皇が夢想によって大和国鳴川(現・奈良市東鳴川町)の善根寺(ぜんこんじ)に籠居していた行基に一宇の阿弥陀堂を建立させ、のちに弘法大師とその甥である智泉大徳が伝法灌頂(かんじょう)を修し灌頂堂として新たに報恩院を建立したのが草創の始まりとされる。「岩船寺縁起」が伝えるところによると、弘法大師と智泉が建立した報恩院が岩船寺の草創とされる。文化財としては「阿弥陀如来坐像(重要文化財)」「普賢菩薩騎象像(重要文化財)」「隅鬼(重要文化財)」「隅鬼(重要文化財)」他多数ある。

[浄瑠璃寺]
この寺は京都の最南端。奈良との府県境に位置している。そしてこの一帯は古来より南都(奈良)仏教の聖地として大寺の僧が世俗の喧騒を離れ修養、研鑽のため出入りをした地域で小田原別所と呼ばれていた。また創建時のご本尊が薬師仏であったことから、その浄土である浄瑠璃世界が寺名の由来とされている。その後九体の阿弥陀仏とそれを安置する堂を建立し、庭園が整備され、今日の都より三重塔が移築された事により今も残る伽藍が出来上がったとされている。当山は池の東側に位置する三重塔と、そこに祀られている薬師仏、中央の宝池を挟んだ西側に本堂と九体の阿弥陀仏、さらに北側には南向きの大日如来像を祀る灌頂堂を含んだ三つの堂塔が現在の主要伽藍となる。

岩船寺三重塔

岩船寺十三重石塔

浄瑠璃寺三重塔

浄瑠璃寺ご住職

三体地蔵摩崖仏

わらい仏

10月5日「大仏池コース」に参加した。午前は曇りだったが、午後から晴れてきた。今日は新人さんが数人リーダーとなったが、よく勉強している人、説明がうまい人、話術にたけている人など三者三様だが、最後まで懸命に役割を果たしたのが、伺われた。基本のコースなので、きっちり習得してもらわねばならない。10月ともなると植物は実の成長が進んで、熟す手前まできているのが多い。花は少ないが、サルスベリは百日紅と書くように長く綺麗に咲いている。またナワシログミが蕾を見せ、ギンモクセイが咲いていた。果実はイヌガシ、カクレミノ、タラヨウ、ナナミノキに生っていた。予定通り15時半終了。

サルスベリ

ナワシログミ

ギンモクセイ

イヌガシ

カクレミノ

タラヨウ

ナナミノキ

イヌシデ
