よりみちクラブ「弥生の里≪唐古・鍵遺跡≫を巡る」
9月24日よりみちクラブのイベントに参加した。よりみちクラブは「ならなぎ」にある同好会で、研修のため名跡を歩るく会である。今回は「弥生の里≪唐古・鍵遺跡≫を巡る」が実施された。コースは以下の通りだ。
近鉄石見駅→杵築神社→唐古・鍵遺跡公園(昼食)→安養寺→鏡作神社→唐古・鍵考古学ミュージアム→陣屋跡→本誓寺・浄照寺
→近鉄田原本駅
参加者は27名と多かった。リーダーはベテランにお願いしたが、人数多くギガホンで対応してもらった。唐古・鍵遺跡の楼閣は異様であったが、弥生の文化を象徴しているようであった。鏡作神社では、飛び入りの説明者が現れ、リーダーがタジタジとなる場面があった。しかし本殿の裏まで入れてもらい、裏からご神体の鏡を見る事ができた。感謝、感謝
最後に浄照寺で集合写真を撮っている時、住職が本堂に招いて、説法を頂いた。また裏のすばらしい庭園を拝見できた。全く予定外のことで、また感謝、感謝
気分良く終える事が出来た。15時終了
唐古・鍵遺跡 楼閣
今から約2,000年前の弥生時代、奈良盆地の中央に位置するこの地には、日本最大級のムラがあった。唐古・鍵遺跡は、幾重もの環濠に囲まれた弥生時代の集落の遺跡だ。約42万㎡(甲子園10個分)という大きな面積を誇ったことや、弥生時代前期から後期まで約700年間もの長い間、途切れずに集落として存在し続けていたことなどが分かっている。
鏡作神社
正式名称は鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにいますあまてらすみたまじんじゃ)。天照大神が天の岩戸に隠れた際、八咫鏡をつくったと伝わる石凝姥命など三神が祀られている。古くから鏡づくりの神として信仰を集めてきた。美の神として技術向上を願う美容師や鏡業界の関係者の参拝が多い。境内には、朱塗りで三間社春日造の本殿や摂社の天照大神社などが立つ。また、鋳鏡を洗い清めたといわれる鏡池もある。社宝として三神二獣鏡(非公開)を所蔵している。
浄照寺
近鉄田原本駅前の町並みは、本能寺の変の後、豊臣秀吉が柴田勝家等の連合軍を相手に戦った賤ケ岳(しずがたけ)の戦いの七本槍で名を馳せた平野権平長泰の子、長勝が整えたものである。古く立派な建物が多く残る中、一際目を引くのが浄照寺の表門で、太閤豊臣秀吉ゆかりの伏見桃山城の城門を移築したものである。
本堂も立派で、多少の改築が行われているようであるものの、創建当時(1615)の面影を今日に伝えており、奈良県指定建造物になっている。また、浄土真宗派の寺として江戸時代前期の作である親鸞上人絵像を寺宝としている。

近鉄石見駅→杵築神社→唐古・鍵遺跡公園(昼食)→安養寺→鏡作神社→唐古・鍵考古学ミュージアム→陣屋跡→本誓寺・浄照寺
→近鉄田原本駅
参加者は27名と多かった。リーダーはベテランにお願いしたが、人数多くギガホンで対応してもらった。唐古・鍵遺跡の楼閣は異様であったが、弥生の文化を象徴しているようであった。鏡作神社では、飛び入りの説明者が現れ、リーダーがタジタジとなる場面があった。しかし本殿の裏まで入れてもらい、裏からご神体の鏡を見る事ができた。感謝、感謝


気分良く終える事が出来た。15時終了

今から約2,000年前の弥生時代、奈良盆地の中央に位置するこの地には、日本最大級のムラがあった。唐古・鍵遺跡は、幾重もの環濠に囲まれた弥生時代の集落の遺跡だ。約42万㎡(甲子園10個分)という大きな面積を誇ったことや、弥生時代前期から後期まで約700年間もの長い間、途切れずに集落として存在し続けていたことなどが分かっている。

正式名称は鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにいますあまてらすみたまじんじゃ)。天照大神が天の岩戸に隠れた際、八咫鏡をつくったと伝わる石凝姥命など三神が祀られている。古くから鏡づくりの神として信仰を集めてきた。美の神として技術向上を願う美容師や鏡業界の関係者の参拝が多い。境内には、朱塗りで三間社春日造の本殿や摂社の天照大神社などが立つ。また、鋳鏡を洗い清めたといわれる鏡池もある。社宝として三神二獣鏡(非公開)を所蔵している。

近鉄田原本駅前の町並みは、本能寺の変の後、豊臣秀吉が柴田勝家等の連合軍を相手に戦った賤ケ岳(しずがたけ)の戦いの七本槍で名を馳せた平野権平長泰の子、長勝が整えたものである。古く立派な建物が多く残る中、一際目を引くのが浄照寺の表門で、太閤豊臣秀吉ゆかりの伏見桃山城の城門を移築したものである。
本堂も立派で、多少の改築が行われているようであるものの、創建当時(1615)の面影を今日に伝えており、奈良県指定建造物になっている。また、浄土真宗派の寺として江戸時代前期の作である親鸞上人絵像を寺宝としている。

浄照寺前
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