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奈良公園へフジの花を観に行こう

奈良在住の方々に奈良を良く知ってもらうため、「ならなぎ」のネームバリューを高めるため、会員の資質を高めるために、奈良市の市民だよりに下記案内を広告いただいた。
●奈良公園へフジの花を観に行こう(半日ウォーキング)飛火野から春日大社へ 自然観察ガイド付
とき…4月29日(祝日)午前9時半~正午
ところ…東大寺南大門前集合
費用…要
定員…30人
当日会員は9時集合し、ゲストを待った。28人の参加者を迎えられた。
快晴で汗ばむ日の中、9時40分スタートした。コースは東大寺南大門→大仏殿交差点→飛火野①→飛火野②→若宮神社→春日大社だ。残念ながらフジのピークは過ぎていたが、まだ綺麗に残っている所もあり(春日大社の砂ずりのフジは終わっていた)、まずまず喜んで頂いたと思う。フジだけではなく、他の植物クスノキ、カマツカ、ナギ、イヌガシ、コナラ、エゴノキ、ムラサキサキゴケetc,の説明をしながら巡った。特に思いのほかジャケツイバラが綺麗に咲いていた。鹿の生態についても興味深く聞いてもらったと感じた。下の禰宜道(ささやきの小径)を歩くコースで距離があったが皆様元気で最終まで参加いただいて予定通り12時で春日大社駐車場に到着!アンケートおよび「ならなぎ」の宣伝をして終えた。
s-ガイド風景

ガイド風景 飛火野


s-フジ 春日野園地180430

フジ 春日野園地

s-フジ 飛火野180430

フジ 飛火野

s-フジⅡ 飛火野180429

フジⅡ 飛火野


s-フジⅢ 飛火野180429

フジⅢ 飛火野

s-フジ 金龍神社180429

フジⅡ 金龍神社

s-ジャケツイバラ 奈良公園180429

ジャケツイバラ


遅咲きの「八房藤」が見事だった。立札には「若宮神社本殿北側のナギの幹に大蛇のように巻き付いているフジは、古くから、「八房藤」または「八ツ藤」と呼ばれている。この名は太いツルが八つに分かれているためとも、花が八重であるので八重藤から転じたとも伝えられている。他のフジよりも開花が一週間程遅い。文明元年(1469)の記録が残り、樹齢は五百年以上と考えられる。宝永年間(1704~1711)に結成された「春日八ツ藤講」の由来ともなった由緒あるフジである。」とあった。

s-八房フジ 若宮神社

八房フジ 若宮神社

s-八房フジⅡ 若宮神社

八房フジⅡ 若宮神社


番外 皆と反省会&昼食の後、大御堂の「ヒトツバタゴ」と勧進所の「ケイカ」の情報を得て観察に行った。

s-ヒトツバタゴ 大御堂180429

ヒトツバタゴ 大御堂

s-ヒトツバタゴⅡ 大御堂180429

ヒトツバタゴ 大御堂


s-ケイカ 東大寺勧進所180429[ケイカ]
レンプクソウ科ガマズミ属
本種は鑑真和上遷都化1200年に当たる昭和38年に、和上の故郷である江蘇州市より1株が中国仏教教会を通じて唐招提寺に贈られている。その後、挿し木増殖などにより現在10株となり、現在、我が国では、皇居・唐招提寺・和上が我が国に初上陸した佐賀県、そして東大寺で栽培されているのみである。


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アースデイ奈良

4月21日アースデイ(2009年の国連総会で、4月22日を「国際母なる地球デー(英語版)」とすることが採択され、翌2010年から世界中で実施されている)奈良が登大路園地で行われた。それを共催している「春日山原始林を未来へつなぐ会」にならなぎが協賛した。「・・・へつなぐ会」のコンセプトは「奈良公園には、春日山原始林をはじめとする貴重な自然が残されている。この貴重な自然をもっと知り、楽しんでほしい」となっている。今回「ならなぎ」は奈良公園の自然と歴史を知ろうと題して参加を募ってもらった。10時登大路園地からスタートした。参加者は大人4人、子供2人と少人数だったが中身の濃い説明が出来た。みとりゐ→戒壇堂→大湯屋→2月堂→鐘楼→東大寺金堂→南大門→登大路園地のコースで12時半終了した。
今日の最高気温は28℃を超え汗ばむ一日で、特に子供たちには水分補給に気を付けながらのガイドとなった。奈良の八重桜を沢山見かけた。観光客を楽しませているが、ピンク色に変化してきて、そろそろ終わりかなって感じだ。みとりゐで珍しくルリセンチコガネを2匹見つけた。皆見たのが初めてで興味深々だった。参加者の皆様は奈良在住の方だが、知らないことが多かったようで、参加して良かったと言ってもらえた。最後にコースから少しはずれて茶山園地の満開の御衣黄を愛でて気持ち良く帰って頂いた。

みとりゐ池2

ガイド風景みとりゐ池

二月堂2

ガイド風景二月堂


s-IMG_2683.jpg

ルリセンチコガネ

s-IMG_2728.jpg

ナラノヤエザクラ


s-フジ

フジ

s-IMG_2726.jpg

御衣黄


春が早まった飛火野

無題
今日の例会は猿沢鷺池コース。  今年の冬は寒さが厳しかったが、早春より一気に暖かくなり、春真っ盛りの4月中旬頃からは初夏を思わせる気温となった。  ご多分に漏れず4/20の例会も暖かくと言うよりは暑いくらいに気温が上がり、半袖の人もチラホラ。  その影響か今はナラノヤエザクラが満開である。  いつもは5月初めに満開となるフジも既に満開で、我々の目を楽しませてくれる。 写真上段は満開のツキヌケニンドウ。  猿沢池にある太平ホテルでの写真。  中段は南円堂の八重のフジ。  例年は4月の終わり頃に満開となるが、今年は早くこの日に満開である。  とても重厚で美しい。  下段は鷺池の水琴窟の藤棚のシラフジ。  ここのシラフジは花びらが大きく、今日の青空に映えてとても美しい。  (T)

今期最初の例会

4月5日今期はじめの例会だが、午後から総会があるため、飛火野半日コースを回った。興福寺境内から菩提院大御堂、春日大社の一の鳥居を通り浅茅ケ原に出て、最後新公会堂で終えた。
気温20℃で薄曇りであったが、清々しい1日で気分良く歩いた。菩提院大御堂はカラタチやヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃの樹)があり楽しみのスポットだ。木戸があるので観光客は遠慮がちで少ないが、自由に出入り出来る。キズタの実がなっていた。キズタは10~11月に花を咲かせ、翌年の春に熟す。実はまるで茶釜のようだった。
浅茅ケ原ではソメイヨシノはすでに散っていたが、奈良の九重桜が見頃だった。花の開花と同時に葉も芽吹くという特徴があるがソメイヨシノやヤマザクラよりは知名度が低い。この後に平安時代からある奈良の八重桜が続く。
また浅茅ケ原には奈良情緒たっぷりの料理旅館 江戸三がある。玄関に男女の下駄が置いてあって趣があり思わず写真をパチリ
新公会堂は今は奈良春日野国際フォーラム甍 IRAKAという名で運営されている。立派な庭があるが、無料で見学できシダレザクラが見事であった。
今期も奈良の四季を楽しもう♪(/・ω・)/ ♪
茶釜のようなキヅタの果実 菩提院大御堂 2018-4-5

キズタの実

浅茅ヶ原 江戸三 2018-4-5 (1024x736)

江戸三


トラツグミ 浅茅ヶ原 2018-4-5 ②[トラツグミ]
今日出会った鳥 山間部の林で繁殖し、夜中等にヒィーーン ヒィーーンとさえずるので昔は山の中で妖怪が鳴いていると言われていた。

[写真F氏撮影]





よりみちクラブ 春らんまんの佐保路を歩く

「ならなぎ」の番外編「よりみちクラブ」の企画で、古都の古刹を訪ねた。24名が参加だ。快天に恵まれ、10時に近鉄新大宮駅をスタートしてサクラを愛でながら探索した。経路は下記である。
    佐保川沿い桜 → 海龍王寺→ 法華寺→ 平城宮跡(昼食)→ 秋篠寺 →西大寺
歩いて10分ほどで佐保川に着いた。サクラ満開から数日が経っていたので心配していたが元気に我々を迎えてくれた。すばらしい光景だしばらく歩いて海龍王寺に来た。

佐保川サクラ

s-海龍王寺 本堂[海龍王寺本堂]
海龍王寺は天平3(731)年、遣唐使として中国に渡っていた初代住持の玄昉が、一切経と新しい仏法とを無事に我が国にもたらすことを願い、光明皇后によって創建されたとも伝わっており、お寺の場所が平城宮の東北の隅に当たることから「隅寺あるいは角寺」とも呼ばれている。玄昉が唐より帰国の途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際に、海龍王経を唱えたところ、かろうじて種子島に漂着し、奈良の都へ無事に帰ることが出来たことがきっかけで遣唐使の無事を祈願する寺院となり、現在も旅行・留学に赴く方々の信仰を集めている。

s-海龍王寺 国宝五重小塔

五重小塔(国宝)

s-海龍王寺 西金堂

西金堂

s-海龍王寺門

寺門


s-海龍王寺 鐘楼堂

鐘楼堂

s-海龍王寺 護摩堂

護摩堂

s-ハナミズキ海龍王寺門

ハナミズキ


そこからすぐのところに法華寺門跡がある。
s-法華寺 本堂
[法華堂本堂]
聖武天皇の皇后である光明皇后の発願により、総国分尼寺として建立。光明皇后の父藤原不比等の邸宅跡に建つ。東大寺を起点とした佐保路の西の端にあたる。平安遷都後一時は衰退したが、豊臣秀頼、淀君によって、慶長6(1601)年に本堂・南門・鐘楼(いずれも重要文化財)が再建された。本堂に安置されている十一面観音立像(国宝)は、光明皇后がモデルであると伝えられている。また、本坊の庭園は名園として有名。安産や厄除けのお守りになる守り犬は、寺の尼僧の手によるもの。

s-法華寺門跡

門跡

s-法華寺 薬師堂

薬師堂

s-法華寺 浴室(からふろ)

浴室(からふろ)


これで午前は終了平安宮跡で弁当を食べた。でそよ風が清々しかった。寒く風が強い雨の時とは雲梯の差だ食事後3km離れた秋篠寺へ向かった。1時間弱で到着。
s-秋篠寺 本堂(国宝)[秋篠寺本堂(国宝)]
奈良時代末期780年頃、光仁天皇の勅願によって建立され、開山は善珠僧正と伝えられています。平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたためこう呼ばれてる。平安時代末期に戦火のため伽藍の大部分を焼失し、鎌倉時代には今の本堂がもとの講堂の跡に再興されましたが、金堂や東西両塔の跡は雑木林になってしまっている。本堂に25体安置されている仏像の中でも特に著名なのが伎芸天(重文)で、諸技諸芸の守護神として多くの芸術家や芸能人らに慕われ、またその造形の優美な写実性は古美術愛好家の間でも広く親しまれている。

s-秋篠寺 大元堂

大元堂

s-秋篠寺 苔庭

苔庭

s-秋篠寺 境内

境内


各古刹の仏像を拝み悔いを改めた気持ちになり、西大寺まで歩いた。14時30分終了。


竹生島宝厳寺

長浜港から船で30分ほどで竹生島に着いた。この島には「ならなぎ」に由縁のある寺がある。宝厳寺だ。 奈良時代、聖武天皇の命により、僧・行基が開創したとされている。 本尊は弁才天(観音堂本尊は千手観音)である。西国三十三所観音霊場の第30番札所で、観音霊場であるとともに、弁才天信仰の聖地でもあり、日本三大弁才天の1つにも数えられている(他の2つは厳島神社と江島神社とされている)。 行基の来島は天平10年(738年)で、小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。 当初は本業寺(ほんごうじ)、のちに竹生島大神宮寺と称し、東大寺の支配下にあったが、平安時代前期、10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様、比叡山延暦寺の傘下に入り、天台寺院となった。
国宝には宝厳寺の観音堂の唐門と鎮守社の 都久夫須麻神社がある。重要文化財は「渡廊」「五重石塔」など多々ある。しかし残念ながら唐門は修復中のため見られなかった。桜の時期であり、長い石段をのぼるので景色は抜群だった。厳島神社の小型版見たいで興味をそそられる旅であった。
s-宝厳寺本堂

宝厳寺本堂

s-宝厳寺五重石塔

宝厳寺五重石塔(重文)

s-宝厳寺三重塔

宝厳寺三重塔

s-都久夫須麻神社本殿

都久夫須麻神社本殿(国宝)


宝厳寺

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